こんにちは。おかじです。
ある日、家にこんなものが置いてありました。

こんなメモ書きも。

中をのぞいてみると。

8月に断乳したので、もう使わなくなった授乳、ミルクグッズを妻がしまったのです。
なーちゃんが産まれてから、激動の一年間を乗り越えた戦友なので少し寂しい気持ちもあり、成長を感じて感慨深い気持ちもあります。
今回はなーちゃんと授乳、ミルクについてお話します。
授乳と搾乳【産後0~8ヶ月】
母乳の量が人並み以上
妻は母乳の生成量がほかの人よりも多いらしく、常に胸が張っていて痛がっていました。
入院中には、助産師さんに「出産日なのに三日後の量だよ」と驚かれたようです。
退院後1週間も経たないうちに、母乳を専門に扱う助産院に通い始めました。
その助産院で施術を受けたときはだいぶ楽になるようですがまたすぐ張ってしまうので、搾乳機を買いました。
なーちゃんに飲んでもらって、なーちゃんが飲み終えても妻側が足りないときは搾乳機で絞っていました。
深夜に痛みで目が覚めて、夜な夜な搾乳することもあったそうです。(おかじは寝ていて気づきませんでしたが。)
母乳を生成にはかなりのエネルギーを消費するらしく、毎日のように疲れていました。
さらに、まだ腰も首も据わっていない赤ちゃんに対して気を使ったり搾乳でも体力を奪われて満身創痍だったと思います。
このような生活は8か月続きました。
保育園入園とともに、環境が変わり断乳を決めたのです。
これまで述べた通り、ほとんどミルクはあげていませんでした。
完母とまではいかないまでも95%母乳でした。
深夜になーちゃんが泣いてどうしても妻の体力がないときや、妻は産後2ヶ月くらいから仕事を本格的に再開したので、仕事中にお腹がすいたらミルクをあげていました。
その時のミルク作りはおかじの担当でした。
保育園入園と同時に断乳、ミルクへ移行【産後8~12ヶ月】
哺乳瓶拒否との格闘
産後8ヶ月から保育園に入園しました。
保育園では、食事やおやつでミルクを飲む時間があるので少し前からミルクの練習をしていました。
産後2、3ヶ月の時はたまにミルクをあげるとごくごく飲んでいたのですが、このころはミルクを全く飲まなくなってしまいました。
ミルクというより、哺乳瓶の飲み口のシリコン製の素材が嫌いだったのかもしれません。
おっぱいと哺乳瓶の違いが分かるようになり、哺乳瓶は加えることすらしませんでした。
全然飲んでくれないので大変でした。
ミルクを変えたり、哺乳瓶を変えたり、試行錯誤しました。
トライしているうちに、飲むしぐさはしなけど哺乳瓶に興味を示すようになりました。
自分で持とうとするのです。
そこで妻が、「まずは哺乳瓶とお友達になってもらおう」ということでおもちゃとして渡しました。
哺乳瓶を持って、くるくる回して、遊んでいるのです。
すると、自分で加える素振りをしたのです!!
これは!と思いミルクをあげると飲むようになりました。
普段からそうですが、妻の「本人のやりたいことをさせる」というスタンスが活きたのかもしれません。
こうして、ミルクを飲めるようになったのです。
哺乳瓶増加
ミルクが飲めるようになってからは少しずつ授乳の頻度を落として1歳になるころには断乳しました。
これまで、哺乳瓶は1本で足りていたのですが飲む回数が増えたため3本に増やしました。
仕事から帰ってきて、使用済みの哺乳瓶を洗うのがルーティーンになりました。
産後直後はスポンジで丁寧に洗浄していましたが、このころはそんなに気を使わなくて大丈夫だろう、と思いスプレーを吹き付けるタイプで済ませていました。
本数は増えましたが、スポンジ洗浄よりかなり楽になりました。
断”ミルク”【13か月~】
産後半年から離乳食を始めて、量も硬さも少しずつ、順調に進んでいきました。
ミルクは離乳食を食べてまだ足りない分を補うために飲ませていましたが、それもなくなり、今では3食の離乳食と2回のおやつに落ち着きました。
特にミルクや母乳を欲しがる様子はなく、お腹がいっぱいになればOKという感じでした。
断乳も断ミルクもスムーズに進みました。
最後に
授乳のときの妻はとにかく大変そうでした。
授乳で消費されるエネルギーが多いらしく、毎日だるそうにしていました。
また、先述した通り胸が痛いくらい張るため痛すぎて夜中に目が覚めることもしょうちゅうあったそうです。
おかじも、毎日のようにミルクを作って哺乳瓶を洗って消毒して、というのはなかなか大変でした。
大変と同時に、二人でこの時期を乗り切った達成感もあります。
今は使わないのでしまっていますが、今後捨てるかどうかは妻と決めようと思います。
ちなみに、おかじの母はおかじが飲んでいた哺乳瓶を1本だけ、残しているそうです。
Have a good paternity life!